これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。
皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネの領主、
それから、王も総督もベルニケも、また列席の人々も、みな立ちあがった。
「クラウデオ・ルシヤ、つつしんで総督ペリクス閣下の平安を祈ります。
ところが、ガリオがアカヤの総督であった時、ユダヤ人たちは一緒になってパウロを襲い、彼を法廷にひっぱって行って訴えた、
彼は地方総督セルギオ・パウロのところに出入りをしていた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロとを招いて、神の言を聞こうとした。
そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。
そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。
そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。